結局、心のゆとりどころか、いじめと自殺で泥沼のゆとり教育で終焉してしまうのでしょうか。
一生懸命がんばっている生徒というのは、勉強も部活も委員会も何でもがんばります。
がんばることに垣根はないのです。意欲的な生徒は、何事にも意欲的です。
一方、勉強が苦手とか運動が苦手という生徒は、引け目があって意欲がわかない生徒が多いです。
教科書が薄くなっても、机に向かわないので、同じこと。
問題は中間層。宿題や課題など、やることがあればそれに取り組みます。
そうすれば、時間は勉強に割かれ、余計なことに費やす時間が減るはずです。
若者にとって、「ヒマ」は敵です。
暇な時間が多ければ、いろいろなことを考えますが、その中では悪いことも思いつきます。
ゆとりを与えることで、悪い方向へ向かう確率が多くなるのだと思います。
ある程度、突っ走って、大学に入ったあたりに一息つき、考える時間が与えられるくらいがちょうど良いのではないかと思うのです。
ゆとり教育の中でも、塾や習い事をさせ、子供を忙しくさせている方が、健全に育っています。
「忙しくてかわいそう」っていうより、知識や社会的なマナーを詰め込ませることの方が、将来の幸せにつながります。
そう思えば、全くかわいそうではないのです。
ゆとり教育の導入前に、「今の子供は忙しくてかわいそう」とか「勉強が難しすぎる」と新聞の投稿に書き込まれていました。
そう書く人は、勉強が嫌い→学歴が低くて、ヒマな人たちだったんです。
一種のクレーマーの意見を取り入れてしまったんです。
そして、ゆとり教育で、そういう人たちの分身を世の中に大量に排出したわけなんですね。
学歴があって、仕事を持ち充実した生活をしている人たちは、勉強が難しすぎるなどとは感じないし、自分がかわいそうだったとは思っていないので、新聞の投稿に書くこともないですから。
批判的な意見が世間全体の傾向として受け止め、それを実行してしまった失敗。
ゆとり教育で育った人たちが、今の時代の保護者となっています。
そう簡単に取り戻せるものではないでしょう。
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