「卒業式の主役は、あなたたち卒業生」とはっぱをかけられ、大きな声で返事をしなさいとか礼をしっかりしなさいと、何度も練習をして当日を迎えます。
ネットの書き込みを見ると、そんなガミガミ指導されて、疲れて返ってくる子どもの姿を見ると、なんのための卒業式なのかという感想を書き込んでいる人もいます。声が小さい子だっているし、礼が少しくらい揃っていなくてもいいじゃないか、とか、まるで来客者や保護者のための卒業式になっていると主張しています。
確かに「主役は卒業生」ということは、卒業式という舞台の役者という解釈になります。誰のための卒業式かといえば、観客である来客や保護者のためということになるでしょう。教師は、「今年の卒業式は良かった」と思われたいでしょうし、立派な姿で卒業していく姿を保護者に見てもらって、「この学校で良かった」と思われたいでしょう。
卒業式の計画や準備をするときも、どうやったら見栄えがするかと、保護者サービスも忘れません。卒業証書を受け取って振り返ったあと、一度顔を上げ、体育館の後ろをまっすぐ見てから、階段を降りるという指導をします。保護者のシャッターチャンスのためです。これはちょっと間違えると、降壇するときに階段を踏み外す危険性があります。さらに自席に戻るときも、わざわわ遠回りをして、保護者の近くを通って戻ります。これも保護者のシャッターチャンスのためです。
卒業証書を受け取るときの卒業生の表情は、非常にいい顔をしています。中学校生活の中で一番イケてる顔かもしれません。それを校長先生だけが見ることができるのは、もったいないと、校長の後ろにカメラをおいて、体育館のスクリーンに映すという演出をする学校もあります。カメラマンが、校長の斜め後ろからバシバシを写真を撮る学校もあります。しかし、壇上では、しっかりと自分と向き合い、卒業を噛みしめる瞬間。カメラがないほうが良いに決まっています。
コロナ禍で縮小した卒業式も、解禁されたということでコロナ前の形式に戻っています。つまり、卒業式のあり方を見直すということは一切されなかったわけです。送辞・答辞、合唱という基本スタイルが卒業式の姿ということです。ネットに愚痴をこぼしても、現場には伝わりません。学校に伝えても、ごく一部の保護者の感想で処理されます。
もちろんアイディアを駆使した独自の卒業式をする学校もあります。ただ、式の時間が長くなるので、力を入れていた先生が去るともとに戻ります。「働き方改革」です。