2025年アーカイブ

GIGAスクール構想により、生徒一人ひとりにタブレット端末が配布され、学校現場のICT環境は劇的に変化しました。しかし、肝心の「教師のデジタル化」は、思うように進んでいないのが現状です。 なぜ、教育のプロである教師たちが、デジタル化の波に乗り遅れてしまっているのでしょうか?その背景には、単なる「やる気」や「スキル」の問題だけではない、構造的な課題が潜んでいます。

1. 圧倒的な「時間不足」と「業務過多」

最大の要因は、教師がとにかく「忙しすぎる」ことです。 授業の準備、部活動の指導、保護者対応、事務作業......。日々の業務に忙殺される中で、新しいデジタルツールの使い方を覚えたり、授業への活用方法を考えたりする時間を捻出するのは至難の業です。

「便利になるのはわかるが、覚えるまでのコストが払えない」 これが多くの現場教師の本音ではないでしょうか。DX(デジタルトランスフォーメーション)は、導入初期にこそ学習コストがかかります。その「初期投資」をする余裕がないほど、現場は疲弊しているのです。

2. デジタルリテラシーの格差と研修の不足

教師の年齢層やバックグラウンドによって、デジタルリテラシーには大きな開きがあります。 若手教師はデジタルネイティブで抵抗がない一方、ベテラン教師の中にはキーボード入力すら苦手とする人もいます。

しかし、学校現場では体系的な研修が十分に行われていないケースが多々あります。「詳しい人が教える」という属人的な対応に頼りがちで、特定の「デジタルに強い先生」に負担が集中してしまう悪循環も生まれています。

3. 「紙と対面」への根強い信仰

教育現場には、「手書きの温かみ」や「対面での指導」を至上とする文化が根強く残っています。 「連絡帳は手書きで書くべき」「欠席連絡は電話でするのがマナー」といった慣習が、デジタルツールの導入を阻む心理的な壁となっています。

もちろん、対面指導の重要性は否定できません。しかし、事務連絡や単純なデータ処理まで「アナログ」にこだわる必要はないはずです。この「手段の目的化」が、効率化を妨げる一因となっています。

4. システムの使い勝手の悪さとインフラの不備

導入されているシステム自体に問題があるケースも少なくありません。 「校務支援システム」と「学習系システム」が連携しておらず二重入力が必要だったり、セキュリティが厳しすぎて使い物にならなかったり......。 「デジタル化したらかえって手間が増えた」という失敗体験が、教師たちのデジタルアレルギーを加速させています。

結論:教師を「楽」にするためのデジタル化を

教師のデジタル化を進めるためには、「デジタルを使え」と迫るのではなく、「デジタルを使えばこんなに楽になる」という実感を持ってもらうことが不可欠です。

まずは、採点業務の自動化や、欠席連絡のアプリ化など、教師の負担を確実に減らせる部分から着手すべきでしょう。 「生徒のため」だけでなく、「教師自身の働き方改革」のためにデジタルがある。その意識転換こそが、真の教育DXへの第一歩となるはずです。

教科の再編

技術・家庭科を分割し、技術科と家庭科に分け、技術科を情報・技術科(仮称)にするという。

そうすると、独立した教科になるので、国社数理英と音美体を含めて、評定を出す教科は10教科になるわけですね。技術と家庭は、得手不得手の傾向が異なるので、別教科にするのに反対する意見は少ないでしょう。強引にひとつの教科をして扱ってきましたが、成績をつけること以外は、別教科の扱い。異分野のものを合算して成績を出しています。

教科再編の波紋

さて、10教科になると、ある程度、学習塾などの対応で成績を上げることができる5教科となかなかそうはならない実技教科のバランスが変化することになります。「主要五教科」という言葉が学習塾を中心に使われています。入試の国社数理英が重要だという考え方です。生徒自身がこの言葉を受け止めてしまうと、実技教科を軽視してしまい、受験する段階で後悔することになるのです。それがさらに促進されてしまいます。

そうなると次に考えることは、音楽科と美術科を統合して、芸術科としてしまうことです。高校では、実際に芸術科として、音楽・美術・書道などがあるので、突拍子もないことではないでしょう。AIの登場で、次世代を生きる人間を育てるというのであれば、AIが進出して職業としては消えていく音楽・美術は縮小するのもやむなしです。

拙速なAI教育への疑問

なにより、そもそもAIのことを中学校の授業で扱うというのは、とても違和感があります。日進月歩で進化している最中なので、新学習指導要領がスタートするころには、AIの状況はガラッと変わっているはずです。

現状の技術分野でも、「ネットワークを利用した双方向性のあるコンテンツのプログラミング」や「センサーなどを用いた計測・制御システムのプログラミング」という実際のIT現場では役に立ちそうもないことが扱う内容の主軸となっています。

AIを中学校の学習内容にするには、どうしたらいいのか。AI活用は言語化だと思っています。言語化は、数学の文章問題や国語や英語を学ぶことで力がつくと思っています。「問いを立てる力」は国語や社会の読解・探究活動で、「論理的思考力」は数学や理科で、それぞれ中核的に扱われています。AIを題材に学習する意味がわかりません。AIを使いこなす上で、自分の意図を正確な言葉で表現する力は不可欠です。

AIの特性も日進月歩なので、教科書の内容にいれるのは非常に困難だと思います。学習指導要領の改訂サイクル(約10年に一度)とAIの進化スピードの乖離は、教育現場が直面する極めて深刻な問題です。

「キーワード先行」の教育が抱える問題

学習指導要領をつくるための専門家会議では、なにか新しいキーワードを掲げて、キーワードから組み立てようとしているように感じます。前回のプログラミング教育もそうでした。内容が後手になっています。今回も今話題のAIというキーワードを使っているだけではないでしょうか?前回のプログラミング教育のように、理想だけが先行し、現場は「お手上げ」のまま放置される、という事態を招いてしまいます。

いろいろな業者がそれっぽい教材を開発し、教材として存在しているから、学習指導要領に書かれていることはちゃんとやりましたよ、という足跡作りはできます。でも「それが生徒の本当の学びや能力の育成につながっているかは、まったく別の問題だ」ということです。学習指導要領という「お題」に対して、業者提供の教材を使うことで、学校も教育委員会も「指導要領に沿った教育は実施した」という形式を整えることができます。

本当に重要なのは、そのキーワードを「どう教育に落とし込み、現場で実践可能な形にするか」です。その具体的な設計がなければ、今回もまた、現場を混乱させるだけで終わってしまうのではないか。

観点別評価の大転換

集まったメンバーで、こんな重要なものがガラッと変わってしまおうとしている。問題点は50年前から教育現場ではわかっていたことなのに......。

次期学習指導要領の評価 研究会が知識・技能に絞る提案
https://www.kyobun.co.jp/article/2025082803
文科省が次期学習指導要領の評価で「主体的に学習に取り組む態度」の目標準拠評価をやめる方針には一定の評価をしつつも、「思考・判断・表現」も客観的な評価はできないとし、さらに踏み込んだ見直しが必要だとした。

観点別評価は、昭和55年(1980年)の学習指導要録改訂で導入されました。

勉強ができなくても「関心・意欲・態度」を評価して、評定に加えていこうという趣旨でした。4つの観点の最初に位置づけられ、重点的に評価していこうという雰囲気でした。

1. 関心・意欲・態度
2. 思考・表現
3. 技能
4. 知識・理解

最初は、定期テストなどのわかりやすい評価項目を集計して、評定を計算したあと、1と2の観点別にABCをつけていました。コンピュータが導入される前なので、複雑な計算はできません。

そのうち、観点別に計算したあと、評定を算出する方向になっていきました。このときすでに「関心・意欲・態度」は数値化するのは難しいと、4つの観点の割合を変えて、1と2は割合を下げて計算するようにしているのが現状でした。

その後、平成30年(2018年)の学習指導要領改訂により、観点は3つに整理されました。「知識・技能」「思考・判断・表現」「主体的に学習に取り組む態度」になりましたが、この3つは、同じ割合で扱うように求められていました。つまり、4つの観点のときより、自由度が低くなります。

「知識・技能」「思考・判断・表現」は主にテストで、「主体的に学習に取り組む態度」はテスト以外という制約もありました。テストの点数を重要視したいとしても、100点のテストに対して、「主体的に学習に取り組む態度」が10点分数字を用意した場合、その10点を20倍にした数字を評定計算に使うわけです。明らかにおかしい。

「主体的に学習に取り組む態度」は、授業の振り返りやレポートで評価されます。つまり、言語化が得意な子どもが良い点数となります。

「テストは良いのにどうして?」という疑問には「観点が3つあって...」と説明するわけですが、わかってもらえない保護者がいるのです。当然ですよね。教師もわかっていないので。

評定計算を複雑化し、意図していないはずの評定を確定評定としている今の状態はさっさと廃止すべき。定期テストは何点、小テストは何点、レポートは何点と単純に集計したほうがすっきりします。

評価項目がこれだけあって、全部合計すると何点になるから到達度はこうですとなれば、単純明快で、しかも評定している先生にとってもわかりやすい。

観点別に数値化ができるものを作り出し、観点別に得点を集計し、観点別の到達度を合計。最初のテストの点数が評定にどのような割合で関与しているかを把握している先生はいないのではないかと思います。コンピュータが計算してくれますから。

間違いなく入力しているかのチェックはしますが、計算過程の計算式が適切かはチェックしません。評定の計算が複雑なので理解できないのです。ブラックボックス化の諸悪の根源が、この観点別評価なのです。

次期学習指導要領は、2030年度となるようなので、「失われた50年度」となるわけです。ずっと学力とは違う観点の数字がノイズとして入り込み、みんなでモヤモヤしながら成績を付けて、子どもや保護者はもらった成績にモヤモヤするわけです。そして、日本の学力が低下しているとなげく。半分以上を学力とは関係ないところから評価しているので、そりゃ当たり前なのかもしれません。

しわ寄せは常に教育現場に。

未来の先生の仕事

Microsoft(マイクロソフト)の研究者たちが発表した新たな研究
https://arxiv.org/pdf/2507.07935
の中で、「AIの影響を強く受けやすい職種」や「AIの影響を受けにくい職種」が紹介されています。

これをAIで教師について質問してみると

教師・教育職の今後
• AIによる自動化・支援が進む分野
  • 授業資料の作成、テストの自動採点、個別学習サポート、情報提供などはAIが得意とし、教師の業務の一部はAIに置き換わる可能性があります。
  • オンライン教材やAIチューターの普及により、知識伝達型の授業は自動化されやすいです。
• 人間教師が不可欠な分野
  • 生徒の個性や感情に寄り添った指導、モチベーション管理、対話的な学び、社会性や倫理観の育成などは、AIでは代替しにくい部分です。
  • 学校現場でのトラブル対応や保護者・地域との連携なども人間教師の重要な役割です。

となり、

具体的に考えられる変化 
• AIが担う業務
  • 授業資料の自動作成
  • テストや課題の自動採点
  • 生徒ごとの学習進捗管理や個別指導の一部
  • 事務的な連絡や情報提供
• 人間教師に残る・増える業務
  • 生徒の心身のケアや相談対応
  • 保護者や地域とのコミュニケーション
  • 学級運営やトラブル対応
  • 生徒同士の人間関係の調整
  • 学校行事や課外活動の企画・運営
  • 倫理観や社会性の指導

AIの進化で、本業と考えられていた授業に関しては負担が減る一方、生徒対応やトラブル対応の業務が重要になっていくという分析です。

精神的な負担が大きいといわれる教師の仕事は、ますます過酷なものになりそうな気配です。

しかも、授業への負担が減るとなれば、人員削減の根拠となるので、教員配置にも影響するでしょう。最小限の人員で学校を運営していかなければならないのです。

一生懸命勉強して大学を卒業し、カスタマーサポートのような仕事に従事するわけです。できればトラブル対応をAIで軽減してくれると助かります。

卒業式は誰のため?

「卒業式の主役は、あなたたち卒業生」とはっぱをかけられ、大きな声で返事をしなさいとか礼をしっかりしなさいと、何度も練習をして当日を迎えます。

ネットの書き込みを見ると、そんなガミガミ指導されて、疲れて返ってくる子どもの姿を見ると、なんのための卒業式なのかという感想を書き込んでいる人もいます。声が小さい子だっているし、礼が少しくらい揃っていなくてもいいじゃないか、とか、まるで来客者や保護者のための卒業式になっていると主張しています。

確かに「主役は卒業生」ということは、卒業式という舞台の役者という解釈になります。誰のための卒業式かといえば、観客である来客や保護者のためということになるでしょう。教師は、「今年の卒業式は良かった」と思われたいでしょうし、立派な姿で卒業していく姿を保護者に見てもらって、「この学校で良かった」と思われたいでしょう。

卒業式の計画や準備をするときも、どうやったら見栄えがするかと、保護者サービスも忘れません。卒業証書を受け取って振り返ったあと、一度顔を上げ、体育館の後ろをまっすぐ見てから、階段を降りるという指導をします。保護者のシャッターチャンスのためです。これはちょっと間違えると、降壇するときに階段を踏み外す危険性があります。さらに自席に戻るときも、わざわわ遠回りをして、保護者の近くを通って戻ります。これも保護者のシャッターチャンスのためです。

卒業証書を受け取るときの卒業生の表情は、非常にいい顔をしています。中学校生活の中で一番イケてる顔かもしれません。それを校長先生だけが見ることができるのは、もったいないと、校長の後ろにカメラをおいて、体育館のスクリーンに映すという演出をする学校もあります。カメラマンが、校長の斜め後ろからバシバシを写真を撮る学校もあります。しかし、壇上では、しっかりと自分と向き合い、卒業を噛みしめる瞬間。カメラがないほうが良いに決まっています。

コロナ禍で縮小した卒業式も、解禁されたということでコロナ前の形式に戻っています。つまり、卒業式のあり方を見直すということは一切されなかったわけです。送辞・答辞、合唱という基本スタイルが卒業式の姿ということです。ネットに愚痴をこぼしても、現場には伝わりません。学校に伝えても、ごく一部の保護者の感想で処理されます。

もちろんアイディアを駆使した独自の卒業式をする学校もあります。ただ、式の時間が長くなるので、力を入れていた先生が去るともとに戻ります。「働き方改革」です。

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