夏でも北海道では寒い日があって、そういう日に冷麦とか冷やしラーメンがつき、暑い日に暖かいうどんがついたりします。
確かに1ケ月以上前にはメニューは決まっているので、その日の天候に応じてというわけにはいかないでしょうね。
夏でも北海道では寒い日があって、そういう日に冷麦とか冷やしラーメンがつき、暑い日に暖かいうどんがついたりします。
確かに1ケ月以上前にはメニューは決まっているので、その日の天候に応じてというわけにはいかないでしょうね。
学級の担任をすると、生徒の様子を見るだけでなく、
その生徒たちの書類を作成したり、外部機関との連絡等、
非常に仕事があります。
朝のホームルーム、給食指導、帰りのホームルーム、
そして、具合悪くなった生徒の対応、家庭への連絡、
家庭訪問、懇談会、懇親会などなど。
時間的には、授業をしている方が多いのは当然ですが、
負担は大きいのです。精神的な負担も大きく、ノイローゼや
過労死してしまう先生までいます。
ところが、学級担任と副担任と給料の違いはありません。
つまり、学級担任手当なんていうのは存在しないのです。
ならば、単純に考えると仕事量が少ない副担任の方がいいですよね。
マスコミが10連休と囃し立てるけど、そうではなくて飛び石連休だった人もいると思います。
生徒に聞いてみたら、親が10連休だったという家庭は、たった3人。
9割の親は、同様に「他の職種は10連休なのか…」と指をくわえていたことになるのでしょう。
「国民の祝日」や「ハッピーマンデー」に続き、飛び石連休は連続するようにする法律でも作ればいいのに…。
しかし、生徒指導上はこの連休後に変化が起きます。
いわゆる「五月病」で、多くの生徒がプチ五月病って感じです。
学校にある図書室は、「図書館」ということになったらしいです。
学校図書館法に定められたものなので、「図書館」というとのことですが、
小学校や中学校にあるものも「図書館」と呼ぶそうです。
でも、「館」という漢字には「大きな建物」という意味があり、
小中学校内の「図書館」の教室は、とても図書館と呼べるサイズではありません。
誰のこだわりかはわかりませんが、「図書館」と呼ぶそうです。
理科室、音楽室、調理室…、やっぱり図書室が適切ですよね。
体育館と図書室が同じ大きさ?
大学ならわかりますが、やっぱり教育現場をわかっていないと思う。
子供が先生に批判的になるのは、大抵親の学校に対する姿勢の表れ。
親は子供のためを思って、あれこれ考えているとは思うのですが、
それらが子供のフィルタを通したときに、そのような行動になるようです。
逆に問題がある生徒でも、親が学校に協力する姿勢があれば、改善の見込みが大きいです。
確かに教師も人間ですから、相性というものはあると思います。
でも、教育の元では同じ目的があるのですから、結局は同じ方向を向くべきなんですよね。
微妙な方針の違いはやっぱり話し合いですよ。
学級の雰囲気は、集まった生徒によって決まるように思われますが、
実は、保護者の学校に対する姿勢で大きく左右されるのです。
確かに単純に「協力してください」と言って、協力してもらえるものでもなく、
教師側の努力があり、それが協力するに見合うものかどうかによるんですけどね。
教育の改革は、考えてみると様々な変更は、マスコミ対策のように思えるのですがいかがでしょう。
例えば、「勉強が難しい」→「内容を減らそう」
「人数で成績を決めるのは変だ」→「絶対評価にしよう」
「詰め込みの知識だけの教育でいいのか」→「総合的な学習をしよう」
などという具合です。
それぞれの弊害も検討されないまま、まるで思いつきのように実施しています。
マスコミの意見は、社会全体の意見のように語られるので、本当にそれらの意見が大多数なのかは検証されていないと思います。「勉強が難しい」とか「学校の勉強は社会で役に立たない」と街頭演説をしていた議員もいましたが、学校批判だけのその演説は、批判だけで終わり、解決策はありませんでした。批判するのは簡単です。
そんな声や新聞の投稿欄に寄せられるものを中心に、マスコミは学校批判をするのでしょうが、それに対して、行政も何かしないと信用を失うわけですから、いろいろな改革をするのだと思います。正直言って、「ご苦労様」という気持ちになります。
文句がなければ批判はしない、反対意見があるからあれこれ批判があるわけで、それは大抵一部の人たちだけだと思うんですけどね。その声を大きくして、全体の意見のようにしてしまうマスコミも恐ろしいものがあります。所詮、海外の事故で、日本人がいなければ良かった良かったとコメントしているレベルですから。
「学問に王道なし」と言われますが、それでも教育現場ではあの手この手と工夫をしているのです。一番大切な意見は、マスコミの意見ではなく、実際に私たちの教育で学習している子供を見ている保護者の意見です。物騒な世の中で学校の玄関は鍵が閉まっていますが、家庭訪問や懇談会、授業参観など、本質的な部分では学校は開かれていますから、ぜひ足を運んでいただきたいです。
今、学校が置かれている立場を考えながら、学校の中を見ると見方は変わると思いますよ。
中山成彬文科相は同日の会見で「学力向上の傾向が若干、見えた。現場の頑張りの結果だ」とし、学習指導要領見直しの姿勢は「変わらない」と強調した。
ゆとり教育、絶対評価など、教育現場だけでなく、家庭でも危機感を抱いている。その結果、限られた時間の中で授業を工夫したり、保護者も塾や家庭教師などに積極的になる。
保護者としては、今の高卒でも大卒でも就職が厳しい時代となれば、少しでも高学歴を目指しているようです。家庭から学校への要望は、具体的なものとして寄せられてきています。そうすれば、学校としてものんびり「ゆとり教育」だなどと言っていられません。
それでも時間が足りません。具体的には下位生徒の補習をするような時間がないんですね。以前は、土曜日の午後とか、平日の放課後も利用できたのですが、50分授業が強制され、冬の下校時は、日が落ちている状態です。北海道特有のことですけど。
習熟度別授業も現在の教員数では実施できない学校もあるんですよね。例えば数学の先生を同時に2人配置することができないほど、ぎりぎりの人数しかいないんです。2クラスを同時に2クラスに分ければ可能な学校もありますが、小規模校だとそれすらできません。時間的な余裕もなければ、教師側の物理的な余裕もありません。
「あーすれ、こーすれ」だけでなく、行政側の対応も変わってほしいんですけどね。
新人教諭が教室で自殺 埼玉県越谷市の小学校
19日午前9時半ごろ、埼玉県越谷市千間台西の市立千間台小学校の図画工作室で、4年生担当の男性教諭(22)=同県幸手市=が首をつって死んでいるのを校長(55)が見つけ、119番した。越谷署は現場の状況から自殺とみて調べている。
22歳ということは、代替経験なしの本当に新任だと思います。
まだ、4月中旬。教育現場の実態を目の当たりにして、自信をなくしたのか、
それとも私的なことなのでしょうか。
あまりにもショッキングな事件ですね。
So-net blog:しょちょうの日記:日本の教育・英国の教育
「努力すれば報われる」という信仰を実現するためにすべての教育制度が形作られている。
終身雇用の崩壊で、地道に努力すれば大丈夫という社会じゃなくなっているから、
日本の教育制度も変わっていかなくてはいけませんね。確かにその通り。
能力が重視されるイギリスと努力が重視される日本。
でも、実際には日本の教育制度はすでに努力させることはしていないんですよね。
大量の宿題は、体罰同様タブーな雰囲気で見られています。
保護者の話を聞くと、大量の宿題は子供がかわいそうといいます。
以前よりも薄くなった教科書ですら、重たそうでかわいそう。
かといって、能力を伸ばそうというカリキュラムにはほど遠い現実です。
「生きる力を育てる」という合い言葉に文部科学省を頂点にがんばっているのですが、
生きる力の解釈があちらこちらで違っているのが原因なのでしょう。
スカート丈が長いと不景気で、短いと景気がいいというのが20世紀初期にアメリカで言われたのが最初らしいのですが、今の日本では、反比例するというのが一般的に言われていることで、反対になっています。
今は、スカート丈が短く不景気ですが、徐々に景気が良くなるのと反比例して、長くなっていくのでしょうか。
どちらにしても、ちょうど良い長さでおさまらないのは不思議です。
ルーズソックスは完全に一時的な流行で終わりましたね。流行でなければダサくてはいていられません。
結局、学校間のばらつきが減ることを良いこととしている。
最初は、学校ごとに違っても良いと言っていたのに…。
何かの物差しでばらつきがなくなるまで、この平均化は進むはず。
あるいは、学校選択制が導入されたとき、評定の甘い学校に生徒が増えるとか。
収容できないほどの生徒が集まったらどうするのでしょう。
試験はできないだろうから、抽選?
MSN-Mainichi INTERACTIVE 教育ニュース
5段階評定の各評価の割合は学校間のばらつきが減少したが、教科によっては「5」の割合でなお最大約20倍の学校間格差があった。
定年前に退職している先生が増えているとのこと。
さらに精神性疾患のために病気休職する学校の先生も増えているらしい。
時間が減った上に、仕事量が何倍にも増えています。
過労死する先生やそれに近い原因で死去する先生もいます。
でも、どう大変なのかは、一般の人には言葉で説明しても理解してもらえないと思います。
実際にPTAなどで学校に数多く出入りしている保護者の方は、その一部を見ても大変そうだと見てくれていますが、それはほんの一部です。
しかも、文部科学省の方針でやっているのに、学校への批判。
その方針もころころ変わるので、そのために会議で議論し、資料を作成する。
一定していれば、前年度の熟成という形で運用できるのに、新規で作り上げるものばかりだから、膨大に時間がかかるんですよ。
それだけが仕事だったらいいんですけど、そういうわけにはいきません。
少なくとも精神的なゆとりがないと、子供にもゆとりをもって対処できないと思います。
その結果、体をこわし、過労死に至るわけです。
定年前退職者が増えている原因について関係者は、(1)5日制になって一日少な
い日数で教科を教えなければならないうえ、新しく導入された総合学習の準備がある
など教員の負担が大きくなっている、(2)教員の事務的な仕事が増えた、(3)定
年前退職者に退職金を上乗せして退職勧奨制度を実施したため、などを挙げている。
(毎日新聞3月28日付け朝刊)
まず「『先生の通信簿』は採点が『甘め』」って批判的な書き方ですよね。
一生懸命やっている結果だと思うのに、もっと低い点数を予想したんでしょうか。
韓国では、教育に関する体罰は復活したけど、日本はそういう方向ではないので、どうにか話しでねばり強い指導が主流になっています。
そんな中で、話を聞くことになるため、結果として「相談しやすい」ということになってくるのだと思います。
週5日制などで、時間がなくなっているのに、子供の相談に時間を割いている現状を知ってほしいと思います。
子供にとっていい先生が、本当にいい先生であるとは限らないので、この結果が良くなかったとしても問題ないんですけどね。先生方が考えているのは、子供のご機嫌取りではないですから。まあ、教え方へのコメントは慎重に耳を傾けないといけませんね。わかりやすいと思ってくれないと、勉強をする気持ちも高まってくれないので。
社団法人「全国珠算教育連盟」が首都圏の小学4〜6年生300人に担任の先生を
採点してもらったところ、平均点は77・3点だった。全体の8割近くが70点以上
をつけており、全体的に「先生の通信簿」は採点が「甘め」のようだ。男女別でみると、女子は80・2点で男子の74・4点より高い。学年別では、4
どんな先生かを聞いたところ、90点以上をつけた生徒のうち95・2%が「教え
年生79・8点▽5年生77・4点▽6年生74・6点−−と学年が上がるほど平均
点が低くなった。これは自我の発達とともに、先生への反発心が芽生えたり、教え方
への不満が生じるためではないかと同連盟は分析している。
方が上手」と答え、「やさしい」「元気」「相談しやすい」がいずれも76・2%。
「人柄がよく、教え上手でコミュニケーションが取りやすい」先生が、評価を得てい
るようだ。
相対評価から絶対評価に変わって、3年が経ったのかな?(4年かな?)
偏差値教育からの脱却だったのですが、偏差値と偏差値教育と相対評価は、微妙に違います。
偏差値は数学の統計用語です。身長・体重・知能などは、正規分布することが知られています。
学力も正規分布します。
分布のばらつきをもとに、平均値からどれくらい離れているかを数字にしたものが偏差値です。
ここまではいいのですが、当時は、コンピュータも普及していないので、計算が大変です。
平方根の計算がありますから。
そこで、200人、300人の少ない集団でも、「正規分布していると仮定」して、人数で上位何番目は偏差値が何点という簡易的な算出をするようになったのです。
この偏差値は、この時点で数学的な本来の偏差値ではありません。
そして、5段階評定の5は何人と人数で決められるようになったのも、コンピュータのない時代の簡易的な算出に基づくものです。
コンピュータが普及した現在は、数学的な偏差値の算出はほんの一瞬です。
相対評価を見直す前にすることがあったのです。評定算出の電算化です。
しかし、数学が苦手なのか、数学的なことは無視して、絶対評価に移行しました。
本来の偏差値算出では、評定の人数は不定です。
必ず1は何人つけるという制限はありません。
全く同じ得点で、一方は4で、他方は3になるというおかしな結果にもなりません。
そして、自分の学力を、順位ではない数値で、正確に知ることができます。
順位は落ちこぼれを生みますが、本来の偏差値は教科が違っても、あるいはテスト結果を時系列に並べても、きちんと比較できる資料になります。
自分の中の比較をする正確な資料となるのです。
安易に他人との比較ではない、きめ細かい指導が可能になるはずです。
所詮、母集団を元にした数字という人がいますが、現状ではもっとも正確に学力を示すものになります。
それ以上を求めるなら、毎回、全国一斉にテストをおこなうしかないです。
ところで、絶対評価は、正確にいうと相対評価同様、正規分布になるはずです。
日本全国の生徒を集計すれば、正規分布するように評定を決めなければなりません。
しかし、それは当然無理なので、到達目標を決めて、評定を算出するのです。
5や1に偏った場合は、到達目標の見直しがされます。
(そもそも到達度というのも絶対評価を実施するための苦肉の策だと思うんですがね…)
その辺りを勘違いしているのか、到達目標の設定を誤ったのか、5に偏った評定がされているのが現状です。
やはりボーダーラインにいる生徒には、一つ上の評定をつけてしまいますよ。
その結果、学力が落ちているのに成績だけが良くなっているという不思議な現象がおきています。
結局、絶対評価は、数値に意味がないですし、その数値の根拠が曖昧なので、保護者の方も納得しません。
また、職員室の話題で「5の学力は少ないが4の学力の生徒は多い」など、学校ごと、学年ごとに分布があり、教師は、それを感覚的に見抜いています。
ここで感覚的に感じていることは、実は、先ほどの数学的な偏差値による評定の分布に近いものになっています。
つまり、教師が納得する評定算出方法は、数学的にもしっかりしているものとして、すでに存在しているのです。
もし見直すなら、科学的にしっかりと根拠のあるものにしてほしいですね。
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学力低下を理由にする人が多いのですが、
話をややこしくしているのは、「絶対評価」が強制された影響もあるんですよね。
当時の新聞でも「全員に5も可能」なんてとんでもない見出しで紹介されました。
自分の相対的な位置がわからなくなり、学習意欲が低下したとも言えるんです。
評定は、甘くなった学校が多いので、上位生徒はたくさん5のいる中の1人になり、
下位生徒は、あまり勉強しなくても1にはならないのか、ってことになります。
でも、教室を見渡せば、自分がどのくらいの位置にいるかは、何となくわかってしまう。
高校入試では、自分の相対的な位置を正確に知ることができないので、
少し余裕のある高校を選び、さらに受験期の学習意欲も低下してしまいます。
人生のうちで、もっとも長期間にわたり勉強に取り組むのは、
受験勉強だと思うのですが、それがなくなってしまう。
詰め込み教育・偏差値教育をしないで、学力向上を図るには、
時間的な余裕が必要です。
土曜日が休みになった分、平日にしわ寄せがいったので、
放課後の活動や勉強会を開くことも厳しくなりました。
心のゆとりを生む行事もどんどん減らされ、追われるような毎日。
じっくり取り組むことができる長期休業も減らされる傾向になります。
まず、この辺りの時間的な余裕を解決しなければなりませんね。
そして、向上心を育てるカリキュラム。
偏差値教育を否定する人が多いのですが、何か向上したことの目安が必要になります。
絶対評価なのですから、100点満点の点数でもかまわないと思うのですが、
上位生徒と下位生徒が混在している中では、低い点数では意欲がわかないと思います。
基本コースの最低レベルをクリアする問題と応用コースのどこまで学力を上げるかの
ランクわけがあってもいいのではないでしょうか。
人間をランクわけするのではなく、内容をランクわけ。
中学生になれば、得意不得意は自分で判断できます。
自分の目標を持って、取り組むことができるカリキュラムは、わかりやすいと思うんですが。
つまらない話題ですみません。
小学校の時、「全くその通り」を「全-くその-通り」と読んだ友達がいて、教室内が「?」状態だったことがあります。「ぜんくそ」って何だ?
先ほど小説を読んでいて、「この先生きていく…」を「この-先生-きていく…」と読んで、「?」になってしまいました。
「ここではきものを脱いでください」パターンなのですが…。
ゆとり教育の象徴的なものに「総合的な学習」というのがあります。
教科書に載っていないことを総合的に扱い、「生きる力を育てる」というものです。
国際理解・福祉・情報教育などが具体的な柱と示されたものが、
何をしても良い状態になり、陰では通常の授業をおこなっていた学校もあると聞いています。
また、修学旅行や学校祭など、すでに総合的な力を要求される行事があるのに、
それは「総合的な学習」には含まれないという矛盾。
結局、教科書の中身は少なくなり、基礎基本が身に付かないから、
「総合的な学習」で応用というわけにもいかず、体験的なものが多くなりました。
施行前に実験的に取り入れた学校は、優秀な生徒が通う学校ですから、
素晴らしい実績を残すでしょう。それを普通の学校に入ってきたときは、
パニックでした。なぜなら、最近の生徒はじっと座っていることすらできないのですから。
通常の授業より、体験的な授業が増え、そして、小学校から「総合的な学習」をしているの
ですから、授業を受けるという基本的なことができなくなってしまったのです。
「生きる力を育てる」どころの話しではありません。
制度が先にあって、中身は現場で考えろって言っているみたいです。
その割りに教育委員会は、これはダメ、あれはダメとうるさいのです。
それから、選択教科は、個性を伸ばすためのもの。
とはいいつつ、「学校選択」という形で、通常授業に加えていた学校もあるそうです。
生徒個人の要望なんて聞いている余裕はありません。
先生の数は限られているので、学校として可能な教科数しか選択できないし、
内容は、決められています。決めないと収拾がつかなくなってしまうのは、
想像にたやすいでしょう。
せめて、高校の理系コース・文系コースみたいにきちんと教科書があって、
カリキュラムがしっかりしていないと、思いっきり手抜きもできます。
毎時間プリント学習なんていうのも珍しくありません。
ゆとり教育の根本的な問題。
教科書の内容を減らすこと。
20個教えることを10個に減らしたとします。
今まで20個のうち、10個しか覚えられない生徒が、
覚えることを10個に減らしたから満点になるかというと、そんなことにはなりません。
やっぱり半分なんです。
つまり、今まで10個覚えられたはずの生徒は、5個しか覚えなくなるのです。
なぜなら、そういう授業をするからです。
1つも覚えない生徒は、やっぱり1つも覚えないですし。
ゆとり教育の世代の方が、「生きる力」がないのは、
あちらこちらで言われていることです。
基礎基本の面で劣っているから、自信がないのです。
高度な社会になっているのに、人間は程度が低くなっていく。
将来の日本はどうなるんだろう、っていう不安が少子化を加速させる。
いじめやひきこもりがゆとり教育の結果かどうかはわかりません。
基本的に人間は、暇なほど余計なことを考えますからね。
忙しい学生ほど、清く正しくやっているじゃないですか。
少年犯罪は、知識の欠如から来るというのも関係ないわけじゃないかも。
週休二日制は、子供が休めば、必然的に会社も休みになるという発想ですが、
効果はあったんでしょうか。
公務員は週休二日制でいいよね、で終わっていないでしょうか。
増えた休みで、自己学習力が高まったとも思わないし。
格差が広がっただけかな。
まあ、エリートを育てようという裏の目的もあったようですから、
貧富の差が、そのまま教育の差になるのは、目的通りだったのかも。
ずっと教師をやっていて、入試の合否結果で不思議に思うこと。
秋の個人面談なんかで、高校のボーダーラインと成績を比べて志望校を決めますが、
3月の合格発表を終えて、合否を分析すると、
ボーダーラインのちょっと上の生徒が不合格で、
ちょっと下の生徒が合格する傾向があります。
ボーダーラインのちょっと下の生徒は、そのままでは合格しないので、
たくさん勉強しないと不合格という意識があります。
その結果、必死に勉強して、合格を勝ち取るのです。
そして、ボーダーラインのちょっと上の生徒は、一応合格ラインに入っているので、
手を抜くと不合格なのはわかっているのですが、身が入らないのでしょう。
その結果、不合格。
性格とかそんなのではなくて、きれいにその傾向がでるのです。
受験前の行動・表情でわかります。
でも、ボーダーラインから30点も離れていたら、どんなに必死に勉強しても
ダメなものです。限界というものがあります。
「ボーダーラインに入っているからといって安心しないでください」と、
上記の傾向を保護者・生徒共に力説しておくのですが、
今年もやっぱり同じでした。
「 このサイトは「Internet Explorer5.5」以上、もしくは「Netscape Navigator4.7」以上のブラウザで見ることをおすすめします。」なんて注意書きがありますよ。
今どき、Windows依存ですか。機種依存文字も使われているし、
HTMLの文法チェックでは、悲惨な結果に。
学校のウェブページの見本となるものになってほしいですね。
私たちが普通に使っている言葉で、「机間巡視(きかんじゅんし)」というのがあります。
基本中の基本的な言葉です。
授業中に教室の机と机の間を歩いて、生徒の様子を見ることです。
言葉としてはそれだけです。
でも、非常に重要で、理解度を把握したり、学習習慣の確認、アンダーアチーバーに対する補助など、やることはたくさんあります。
これを怠ると、教師主体の授業となり、自己満足の授業にしかなりません。
しかしながら、期間巡視をしていると、先生がそばを通り、落ち着いて集中できないと親から苦情が来たことがあります。困った親です。
調理実習で、紅茶を入れるとき、生徒が「ティーバック」と言う。
英語の時間、ファイブの次は「セックス」と言う。
「重要」という意味の「インポータント」になぜか反応してしまう。
男子生徒の頭の中はいったいどうなっているのやら。
TB(トラックバック)のことを「Tバック」と呼ぶブロガーもいるらしい。
眞鍋かをりのここだけの話 powered by ココログ: YHA YHA YHA
ここを参考に書いた記事ですが、眞鍋さんはトラックバックされた記事を全部読んでいるみたいですね。アダルトとかも混ざっているようですが…。
よく見かける指導案として、「個性を重視し、選択できるようにした」などというのがあります。何かの課題に取り組むとき、選択肢があるというのは良いことですが、個性とは関係ないでしょう。「個性」とは、「他の人とちがった、その人特有の性質・性格」とあるのですから、生徒の数だけある個性には対応できません。授業で個性に対応すること自体ナンセンスだと思うのです。大抵、個性を重視することは、わがままを助長するもので、「個性」の意味を勘違いしているに過ぎません。
また、髪型や服装の自由が個性につながると主張する人もいます。これも「個性」の意味を勘違いしています。内面を磨かないといけないのに、外見にこだわってしまっています。さらに大抵、髪型や服装の自由というと、流行に流されるので、結局、没個性となってしまいます。個性と主張しつつ、自分を見失い、自分の存在すら見失う生徒も少なくありません。
制服は、個性を育てます。外見が一緒だから、内面の個性が重要になってきます。外部の人は、制服によって、同じように見えるかもしれませんが、内部の人は、すべての生徒を区別できます。
どんな先生が良い先生って言われるのかな?
・優しい先生
・親身になってくれる先生
・話を聞いてくれる先生
・怒らない先生
生徒の都合を聞いていたら、時間がいくらあっても足りない。
金八先生じゃあるまいし、どうでもいいところは編集でカットしてくれるわけでもないですし。
生徒にとって良い先生は、職員室ではダメ先生なんですよね。
取材を受けたことがある人なら誰でも経験しているかもしれません。
取材で受け答えしたことが、きちんと反映されないんですよね。
高校時代に文化系部活動で全国コンクールで入賞したことで、取材に来たのですが、なぜか話がかみ合わない。自分の世界がまずあって、その裏付けに来ているみたい。だいたい記事のストーリーができていて、それから取材で言葉を拾っていく感じがします。だから、話をしていても、質問をよく間違える。「だから違うってば…」って言葉が思わず出てしまいそうになります。
2、3日後、その記事が新聞に載ったときは、あきれてしまいました。「だから違うってば…」ってところがそのまま。取材が全く意味がなく、記者の世界がそのままでした。そしてまるで「どうだ素晴らしいだろう!!」と言わんばかりに誉め称えているのですが、事実と違うのでちょっと困るんですよね。
先日、とあることで新聞記者が学校に取材に来たのですが、記事をみて、校長が「言っていないことばかり…」と激怒。単語だけ拾って、記者の都合のいいように文章を組み立てられたという文章。
ライブドアの社長も似たようなことを言っていますよね。長い記者会見で、ほんの一部の言葉が拡大解釈されるって。文字だけでなく、映像でもゆがめられるんですよ。マスコミは。
だから新聞を読むときも気をつけないとと思います。そういう点で、インターネットというのは裏事情も流れるので、情報操作の抜け道にもなりますね。もちろん裏情報が真実かどうかは、マスコミよりあやしいかもしれませんが。
公平であるべきのマスコミも、ニュースなどでアナウンサーが意見を言ったりしますよね。「ゆるせない」とか「雪が多くて大変だ」とか。逆の立場の人もいるし、検証や捜査が途中のものに関して安易にコメントするべきではないんです。
さらに正しい情報でも、変な誤解を与える取り上げ方をすることがあります。かなり昔ですが、岡田有希子が自殺したときに、最近若者に自殺が流行っているというニュースが連続し、「今日も自殺者が…」と毎日のように報道されていました。自殺は残念ながら結構あり、しかも5月は自殺者が多い月なんだそうで、例年の傾向と変わらなかったんです。
かと思えば、新しいビックニュースがあるまで、引っ張るケースもあります。「そのニュース、もうわかったよ」というものも「新しい事実発覚!!」としつこく引っ張ります。それでいて、別のビックニュースがあると、すーっと消えていく。マスコミが注目度を操作したいのでしょうか。ビッグニュースがなければ、どうでもいいことまでニュースになります。
その点でも、紙面や放映時間の制約がないニュースサイトは、そのまま事件の数だけ流せばいいので、ニュースがなければないでいいわけです。
最近の学校の校舎は、バリヤフリー化が進んでいます。バリヤフリーという言葉が一般的になる前からそうなっています。
なぜかというと、将来少子化で学校が統合し、その校舎が学校でなくなったときに、そのまま福祉施設に転用できるようになっているのです。
車椅子への対応は徹底していて、さらに階段の段差は低く、将来エレベータを設置するためのスペースもあります。どこかに使い道のない謎のスペースがあるはずです。
つまり、その学校を卒業し、遠い将来に再びその建物でお世話になるかもしれないということです。
ゆとり教育見直し。
この世代の人たちは、一生学力が低いと言い続けられるんでしょうね。かわいそう。
もともとあんまり勉強していない人が、「学校の勉強が難しい」とか「詰め込み教育だ」と声を大きくして主張するもんだから、こうなったんだと思います。確かにそういう新聞の投稿は当時よく見かけましたし、政治家もそんなこと言ってましたね。みんな勉強が嫌いなわけで。最近は逆ですものね。いろいろな少年犯罪をゆとり教育の結果と見る人もいるし。
人間を含めて動物は、正規分布によってばらつきがあります。身長や体重はもちろん、知能や学力も正規分布すると言われています。だから、学校の勉強を簡単にすれば、正規分布が左側へずれるだけで、別に勉強ができない人が減るわけではないと思う。
勉強していない人は、学力だけでなく、知能や知性も低い気がします。きっと理性も関係するでしょう。もっと勉強させた方がいいですよね。
とあるメーリングリストの書き込み
---概要あやしくなさそうだったので、アダルト系のスパムメールのリンクをクリックしました。
[ENTER]をクリックすると「○○さん(自分のメールアドレス)、ご入会ありがとうございます」と会費を取られることが書いてありました。
ちょっとまずいと思い、とりあえず、送信停止のメールを送り、クーリングオフの手続きをするため、相手先に住所と電話番号をメールで教えました。
振り込み期限まで日数が少しあるので、急いでいないのですが、対策を教えてください。
この書き込みをみて、ネタかと思いましたが、真剣のようです。
最近は手口が巧妙になっているので、「えっ?」って思うものもありますよね。
気をつけないと。