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2007年2月アーカイブ

先生コメント欄「真っ白」 小樽・6小学校の通知表 1校は30年

 通信欄に何も記入しなかった教員は、各校の校長に対して、「記録に残るので、うかつなことは書けない」「個人面談や保護者会を通じ、コミュニケーションはとれており、書く必要がない」などと理由を説明したという。

個人面談でじっくり話をしているので、通知票のコメント欄は、校内の点検で通過する程度の差し障りのない内容を書くことが多いです。やはり文字として残るものなので、悪いことは書けません。多少事実と違っても、良いことを書きます。もちろんもらった側は、ほめられればうれしいので、意味がないわけではありません。自己暗示で良い方向に変わっていく生徒もたまにいます。

それでも、時間数確保で、教育現場の時間的余裕は年々減っています。もらう側にとっては、短い一言コメントですが、何日もかけて、膨大な時間を費やします。それらの作業を個人面談の日程と並行して行われるのです。コメントを記入するのに使う時間は、殴り書きで1時間、通常2時間は必要です。それも下書きから写す時間です。下書きを作るのに2、3日使います。

しかし、将来を考えると、事務仕事の軽減として、通知票のコメント廃止は今後の流れとなってほしいものです。事務仕事より、子供たちと接する時間の確保が必要だと思います。

結局、心のゆとりどころか、いじめと自殺で泥沼のゆとり教育で終焉してしまうのでしょうか。
一生懸命がんばっている生徒というのは、勉強も部活も委員会も何でもがんばります。
がんばることに垣根はないのです。意欲的な生徒は、何事にも意欲的です。
一方、勉強が苦手とか運動が苦手という生徒は、引け目があって意欲がわかない生徒が多いです。
教科書が薄くなっても、机に向かわないので、同じこと。

問題は中間層。宿題や課題など、やることがあればそれに取り組みます。
そうすれば、時間は勉強に割かれ、余計なことに費やす時間が減るはずです。
若者にとって、「ヒマ」は敵です。
暇な時間が多ければ、いろいろなことを考えますが、その中では悪いことも思いつきます。
ゆとりを与えることで、悪い方向へ向かう確率が多くなるのだと思います。

ある程度、突っ走って、大学に入ったあたりに一息つき、考える時間が与えられるくらいがちょうど良いのではないかと思うのです。
ゆとり教育の中でも、塾や習い事をさせ、子供を忙しくさせている方が、健全に育っています。
「忙しくてかわいそう」っていうより、知識や社会的なマナーを詰め込ませることの方が、将来の幸せにつながります。
そう思えば、全くかわいそうではないのです。

ゆとり教育の導入前に、「今の子供は忙しくてかわいそう」とか「勉強が難しすぎる」と新聞の投稿に書き込まれていました。
そう書く人は、勉強が嫌い→学歴が低くて、ヒマな人たちだったんです。
一種のクレーマーの意見を取り入れてしまったんです。
そして、ゆとり教育で、そういう人たちの分身を世の中に大量に排出したわけなんですね。

学歴があって、仕事を持ち充実した生活をしている人たちは、勉強が難しすぎるなどとは感じないし、自分がかわいそうだったとは思っていないので、新聞の投稿に書くこともないですから。
批判的な意見が世間全体の傾向として受け止め、それを実行してしまった失敗。

ゆとり教育で育った人たちが、今の時代の保護者となっています。
そう簡単に取り戻せるものではないでしょう。